北西の空 21時11分54秒

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はい、その日の夜は空がやけに明るく、
雲が恐いぐらいはっきり見えていたのでよく憶えています。
まだ新月なのになんでだろうなと、しばらく窓を開けて見上げていました。

え?夜空を見上げる習慣があるのかって?
いいえ、午前中に家事をしながら聞いていたラジオが夜は雪になるって言ってたもんですから、
夕飯を作り終えて主人の帰りを待っている間にどうなのかしらと窓を開けてみましたの。
いつもは編み物をしながら待っているのでその日は本当にたまたまなんです。
雪はまだ降っていませんでした。

だいたい主人は決まった時間に帰るので
夕飯の支度は毎日同じ時間に始めて、同じ時間に出来上がります。
出来上がってからものの十五分もしない内に主人が帰りますので、
え、子供ですか?
大学生の息子が一人いますが都内で下宿していますわ。
今は主人と二人きりです。
そう、だからあれは間違いなく九時から九時十分ぐらいのことですわ。

星ですか?
そうそう、星、凄く明るい星が出ていましたよ。
月が見えなかったので本当に明るくて、
雲がこんなによく見えるのはこの星のせいかと思ったぐらいですの。
え?星の方角ですか?向こうの方でしたよ。

北西なんですね。
ここに住んでもう随分になりますけど
相変わらず方角が全然分からなくって。
意外と余り周りに気を配っていないからかしら?
だから、同じマンションにその方がお住まいなのも全然知りませんでした。

新聞に載った写真ですか?もちろん見ました。
刑事さんが見たことないかって写真を持って来たのも見ました。
ええ、初めて見る方でした。
まさかあんなことが起きるなんて。

え?他に明るい星は無かったかって?
明るいのはひとつだけでした。
なんていう星なんでしょうね?
他にも明るいのが有れば分かったはずですよ。
雲に隠れていたんですかねえ。

この事件の鍵は星なんですね?そうなんですね!探偵さん!

妄想癖の有るぼくは一枚の写真から陳腐な物語を妄想してしまう。

十歳と七歳ぐらいの兄妹だった。
兄貴はゲームの攻略本を、
妹はレディースコミックを手にレジにやって来た。
うきうき顔じゃないか。

POSに通してみるときっかり1510円。
兄貴が、げっ十円足らん!と愕然とした。
妹は事態が飲み込めずぽかんとしている。
兄貴は妹がチョイスしたレディースコミックを取り上げると
自分の攻略本は譲れないとレジに置いたままにコミックの選別に棚に向かった。

兄貴が聞いてきた。
これより十円安いやつ無いですか?
これが一番安いやつだし、
コミックの値段は通しなのでこれより安いのは存在しない。
もし有ったとしても何でもいいのだろうか?
君は本当はこのレディコミが読みたいんだよね?
と思いつつも棚を探すふりをしてみた。

残念だけど無いね〜。

このひと言を兄妹は絶望の顔をもって迎えた。
そんなに見つめられても困るんだよ。
兄貴が1100円の攻略本で妹の取り分が400円なのは
どういった原資からなのだろうか?

兄貴は、ぼくにはどうしようも出来ないんだよ妹よ、
でも攻略本は買うからね、さあどうする妹よと妹に丸投げしてしまった。
妹はおろおろするばかりでついに店内をせわしくうろつきだした。

今日という一日のために、
この兄妹には是非とも本を手に家路についてもらいたい。

十円を貸しにして
幼い兄妹に十字架を背負わせる訳にはいかない。

今回はおまけしておくよ。
秘密にしておいてくれたまえ。
決して友達にあの本屋は十円まけてくれるとか言っちゃ駄目だよ。

ずっと曇ったままだった兄妹の顔は
神の啓示を受けたかの様に輝きを取り戻した。

ありがとうございます。
今度来た時十円返します。

入金機が絶対飲み込みそうにないしわくちゃの千円札と
五百円玉を残して兄妹は何度もお礼を言って去って行った。

ぼくは財布から十円玉を取り出すとレジに放り込んだ。

これは本当の話。