台北的假日 DAY,3-4 とりあえず食べるのが楽しみ

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残り2日は台北でのんびり。古亭、永康街中心に食べ歩き。今回は全部iPhoneの写真で書いてみた。

パッケージがかわいいのが多い。

ガイドブックがグルメメインな構成でしかも美味しそうなものばかりなので行く前からあれとこれは絶対食べようなんて街の回り方をわくわくしながら考えていた。

これはニラと豚バラが入った胡椒餅というもの。新疆にあるパオズという食べ物に似ている。焼き方も同じで釜の内側にぺたぺたと貼付けて焼いていた。ぱりぱりに焼けた生地に塩味のきいた柔らかい豚バラがよく合う。

ホテルの近くにあった魯肉飯というぶっかけご飯。豚肉を甘く煮込んだものをぶっかけている。大中小があって、小は50円ぐらいだったかな。ご飯時じゃないのに店内は学生で満席だった。見た目よりさっぱりした味で何杯でもいけそう。

これは葱抓餅、永康街にある一番おいしいと言われている店のもの。小麦をといだものにネギを入れて焼いたもの。表面はさくさくで中はもちもちしてる。卵入りもある。

同じく永康街の水餃子の有名店。有名店なわりには皮がぼそぼそしていて好みじゃなかった。水餃子は皮が命、ぷりぷりのもちもちがいい。ホテルの近くの看板すら無い店で食べた水餃子はうまかった。

これは割包という台湾版ハンバーガーみたいなもの。これはどうしても食べたくてガイドブックに載っている所に行くと閉まっていた。最終日にうろうろしている時に偶然見つけた店のもの。饅頭に焼豚と香菜、ピーナッツパウダー、漬け物などをサンドしたもの。組み合わせのせいか初めて食べる食感。これもさっぱりしていて全然もたれない。

夜市もぶらぶら見て回ったが大雨で食事どころじゃなくて何も食べなかったけどきっと美味しいものがたくさんあるんだろうな。

この記事を書いているうちに友人の訃報が入り急きょ釧路入りすることに。

彼も食べるのが好き、というより豪快に、ほんとうにうまそうに食べる人だった。体も心も太陽のような人でいつも中心に輝いていた。

肉体が消え、人が居なくなるってどういうことなんだろうか。その過程を目の当たりにして答えも実感も湧かないぼんやりした現実を抱えたまま、帰りの飛行機で何処かの小さな町の夜景を見下ろしていた。道路を軸に蜘蛛の巣状に町が輝いているのを見て銀河の泡構造を思い出した。ああ、人の神経も血管も、そして細胞の集合も銀河の泡構造そっくりじゃないか。大なる宇宙の銀河構造と小なる人の細胞、そしてその営みたる町の構造が同じということは…。人は間違いなく宇宙の一部に違いない。

宇宙は無からビッグバンで始まりやがてまた無に帰るという。爆発という現象は例えば花火なら華やかに光り輝き炭素に変わってしまう。人も宇宙なら爆発なる産声をあげて生を受け、人生という喜怒哀楽の輝きを放ち、やがて燃え尽きて炭素に帰ってしまう。

ビッグバンはまだ終わっていない。宇宙が爆発し光り輝く過程にある限り、小なる爆発は燃え尽きてもなお瞬きを繰り返しつつ宇宙に深く溶け込んだどこかに存在し続けるんじゃないかと思う。科学で否定して人の心の中には存在するとか、宗教とかでそう思うだけじゃなくて絶対そこに居るんですよ。だからぼくは彼を信仰するし、守ってもらいたいし、語りかけ続けるだろう。そして、人として出来るだけ永く輝きを放ち続けなければならない。